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三次ベッケンビール 【その後】 [日本のクラフトビール]

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2009年2月11日産のデュンケルボックです。まだ開けてません。というか、開けられません。

個人的に越年したくない問題だったので、自分の中でのけじめのため、そして、署名してくださった皆様への経過報告のため、記事にしました。

署名運動が収束してからも、私のブログのベッケンビールの記事にはかなりの数のアクセスをいただいています。それだけ成り行きをじっと見守っている方が多い、ということなのだと思います。


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7月に休業に入った三次ベッケンビールですが、未だ休業の状態が続いているようです。少なくとも、HP上ではそのようになっています。

三次ベッケンビールHP
http://www.miyoshi-becken.co.jp/

今現在、どのような形で再開を模索しているのか、または模索していないのかは、わかりません。ですが、長年醸造を一手に引き受け、ベッケンビールの人気を全国区にまで引き上げた醸造長さんは、すでに三次麦酒株式会社を離れられています。つまり、仮に営業と醸造を再開したとしても、私達を魅了して止まなかったあの素敵な香味のまま復活する可能性は、極めて低くなりました。

都市部のビールファンの中では周知のことと思われますが、署名くださった方の中には情報の届きづらい環境に居られる方もいると思い、報告させていただきました。


以下、当プログの関連記事です。

休業決定時の記事
http://nekoze-beer.blog.so-net.ne.jp/2009-07-10

署名提出時の記事
http://nekoze-beer.blog.so-net.ne.jp/2009-08-10


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署名運動では、1次2次合わせておよそ1500名の方から署名をいただきました。数多くの方々のご賛同をいただき本当にありがとうございました。そして、皆様の声を「営業再開」という形で結実できていないことをおわびいたします。

この署名運動を通じて、いろんな人達の「思い」に触れました。

ご協力いただいたお店の思い、ご協力いただけなかったお店の思い、各地のブルワーさんの思い、署名に協力してくださった方々の思い、反対された方々の思い、署名運動を全国に広げていただいた主要メンバーの方々の思い、そして、醸造長さんの思い。




私自身もさまざまな思いを抱きました。

開始後ほんの数日で署名運動が全国に広がった時には、心の底から湧いてくる興奮を抑えられませんでした。一時休業が決まったときの消耗感、喪失感が一気に吹き飛び、きっと自分が何かの役に立てる、と身震いしました。

予想をはるかに上回る1360筆もの署名をいただけた一次署名には、本当に涙が出るほどの喜びと言葉で言い表せないほどの感謝を感じました。見ず知らずの人間達が勝手に始めた運動に、これだけの数の全国の人達が協力していただける。ビールって素晴らしい。というか、人間って素晴らしい。つながろうと思えば、つながれる。いくらでも。

その後「良いニュース」がいつまでも聞こえてこない焦りと不安に苛まれた時期もありました。辺見庸が言う「鵺(ぬえ)のような日本的ファシズム」の正体を見たような気がして、底知れぬ恐怖を覚えたこともありました。




署名の提出先についてはかなりの議論も反対意見もありました。が、私はあくまでも「三次ベッケンビール」の再開でないと意味がないと思っていました。

ファンとしては醸造長さんが造るビールがまた呑みたいわけで、そういう意味では醸造長さんの雇用が確保されればそれでいい、という向きもあったようです。

が、私は三次ベッケンビールのスタッフの方々の「顔」を知っています。醸造部員の若者とは一緒に呑んだこともあります。その彼に誘われて出向いた百貨店での直売会には営業部の社員さんも来られていて、私を大歓迎してくれました。そのほかにも、三次のレストランに行ったときのレストランのスタッフの女性、売店のスタッフの人達・・・。

こういういろんな人達の力があって一つのビールができているんだなあ、と心の底から実感しました。だから、醸造長さんの再雇用だけ確保されれば、という方針には抵抗があったのです。こういった裏方の人達のことを考えると、どうしても三次ベッケンビール全体の復活でなければならないし、そうであってほしい。そう私は考えていました。経済的な理由を前にして署名がどれほどの力を持ちうるのかはわかりませんでしたが、7月12日の時点でいきなり「廃業」ではなく「休業」とした、わずかな可能性を私は信じていました。




建築家の故黒川紀章は「メタボリズム」を提唱して、小さな立方体を積み上げたような形状のマンション「中銀カプセルタワービル」を建てました。個々のカプセルが交換可能で、社会の成長に合わせて理論上はいつまでも利用できる、というマンションです。

ビールの世界の個々のブルワリーもこういうもんなのかな、と今は合理化して自分を納得させています。次に組み込まれるカプセルはそこにあったカプセルを越えるものであり、建物全体が永遠に成長を続ける。そうであって欲しいし、私はそうであるために来年も単なるビールマニアで終わらないような貢献ができれば、と思っております。


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一年間ご愛読ありがとうございました。来年もさらに研究と経験を積んで、んまいビールを皆様に紹介していきます。2010年もよろしくお願いいたします。

猫背

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コメント 2

匿名希望

とても深い意見を拝見させていただきました。
この件に関しては、本当に様々な考え方・方向性・想い、そして立場があったように感じます。
実際、自分の周りでも(特に「休業」の情報が広まった時は)激しく議論がなされてました。
その意見の中には、あまりにも幼稚で、無神経なものもありました。
それを制止しようとして傷ついた人もいました。
あの夜は、本当にたくさんの人が心を痛めた夜になったのだと感じました。
その後も、「行動する人」も「行動しない人」もそれぞれが批判の対象となり、その当事者の方もまた、自らを批判する姿を見る事も少なくありませんでした。
個人的には、元醸造長の家族と縁があった事から、そればかりが心配でした。
署名をはじめ、それぞれの「行動」が元醸造長を励ますと同時に、何かしら見えない力で追い込んでいるのではないだろうか?とも考えていました。
最も大切な事は元醸造長が「家族のための選択するという事」だと考え、それに対して、みんながしている事は、自分が選択している行動は、「正解」なのだろうか?悩む日々でした。
今思えば、猫背さんのおっしゃるとおり、若き醸造の二番手の方や、レストランでサービスされてる方などもそれぞれ立場やご家族がいらしたでしょうに、当時の自分は全くその事を考えられませんでした。自分の未熟さを感じます。

初コメントなのに長々と書きまして申し訳ありません。
この件に関しても、その他のビール談義でも、また意見交換できればと願います。

ちなみに、私はこの1月1日に三次ベッケンビールの「ヴァイツェンボック」を開栓しました(^-^)
by 匿名希望 (2010-01-03 08:35) 

猫背

コメントありがとうございます、猫背です。

ほんとに自問自答の日々でした。おっしゃられる通り、行動することが醸造長さんを追い込んでしまうことにならないかという心配は常にありました。それに、署名の提出先や対象をどうするかという議論がなされないまま運動ばかりが大きくなっていってしまったことも今から思えば問題でした。

と、後日談的に振りかえれば冷静に見つめられるのですが、あの時の私はそんなに冷静になれる状態ではなかったですね笑 休業のニュースに触れて「え、まじで・・・」から「何かしなきゃ」に至るのにそれほどの時間を要しませんでした。

今でもヴァイツェンを呑むたびに三次ヴァイツェンを思い出してしまいます。

今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m
by 猫背 (2010-01-03 12:21) 

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